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by jony7h

織田信長や豊臣秀吉などが登場する時代が歴史的には人気があるが、あまりピンとこない室町時代の事も少し整理して復習してみましょう。

室町時代の1467(応仁元年)、足利将軍家の幕府内で後継者争いが起こりました。

この内紛は、幕府の二大実力者である細川勝元と山名宗全で二大派閥が形成され、室町幕府の統治体制は崩壊へと向かいます。

多くの守護大名が京都に集まり、長い戦闘を始めたのが応仁の乱。

細川勝元の軍は東軍と呼ばれ、およそ16万の軍勢を従え天皇や将軍も味方につけ、山名宗全の軍は西軍と呼ばれ、およそ11万の軍勢だった。

両軍の激戦は、なかなか勝負がつかず、京都は焼け野原になり皇居や幕府をはじめ、貴族や大名の住まいや神社・寺院も多く焼けてしまい、貴族や僧などの権威は落ちる。

この応仁の乱の後、世の中は乱れ、戦いの絶え間が無い世の中となった。

そして、戦乱の世が約100年続いたので、室町時代の後半は戦国時代とも呼ばれています。

戦国時代とは、1467年(応仁の乱)から1493年(明応の政変)を経過した時代のことです。

明応の政変とは、細川政元が10代将軍の足利義稙を追放し、代わりに11代将軍として足利義澄を就任させた軍事クーデター。

こうして就任した足利義澄は細川政元の傀儡となり、幕府の実権は細川政元に握られる事になる。

足利将軍家は二つに分裂し、下剋上の風潮が全国的となり、実力をつけた様々な大名が争いはじめ、これらの大名を戦国大名と呼びます。

守護大名が戦国大名となったのは武田・今川・大友・島津など少数派。

後にこの権力者の座は三好長慶、そして織田信長へと渡っていくことになります。

その後の安土桃山時代は、織田信長と豊臣秀吉が頭角を現し中央政権を握っていた時代です。

この頃、世界的にはいわゆる大航海時代で、南蛮貿易が始まる。ポルトガル人により鉄砲が伝来し、それまでの戦法が激変する。

経済力をつけるための自由経済市場を作り、関所などを廃止させる。

織田信長が全国統一する目前に本能寺の変により死亡した後、豊臣秀吉がその後を引き継ぎ1590年天下統一を行います。

豊臣秀吉は、刀狩や太閤検地を実施して全国を大改革します。

豊臣秀吉は対外政策も積極的に行い、倭寇等の禁止と東南アジア方面への日本船での進出や朝鮮出兵なども行いました。

1600年(慶長5年)、豊臣秀吉が亡き後、徳川家康は石田三成との関ヶ原の戦いを経て、政権を握り江戸時代となります。

そして、1615年(元和1年)大坂夏の陣で徳川家は豊臣秀頼に勝利して豊臣家が滅亡する。


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# by jony7h | 2017-12-02 19:30 | 日本史を考える | Trackback | Comments(0)